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前橋家庭裁判所 昭和34年(家イ)188号 審判 1961年1月23日

申立人 原春恵(仮名)

山城行雄こと 相手方 朴東生(仮名) 外一名

主文

相手方両名はいずれも申立人の子であることを確認する。

理由

本件の申立の要旨は、申立人は昭和五年頃当時朝鮮から単独で内地に出稼ぎに来ていた朴晩正と同棲して、東京都向島区吾嬬町東一丁目○○番地で昭和九年六月○○日に相手方朴東生を出産し、次いで昭和八年二月○日に相手方朴公順を出産した。しかし朴晩正は申立人が出生した相手方両名を申立人と朴晩正の子として事実通りの届出をせず、自己とその妻仁敬との間の嫡出子として事実に反する届出をした。朴晩正の妻仁敬は朝鮮から離れたことなく、現在生死不明である。右のような戸籍届出の結果、申立人と相手方らとの間には何ら親子関係のない戸籍が編成されてしまつた。申立人と朴晩正及び相手方らとは現在まで引き続き内縁の夫婦として、また母子として生活をしており、相手方らは申立人が出産した子であることは明白なので本件申立に及んだ。というのにある。

本件について、前橋家庭裁判所調停委員会は昭和三五年一一月一〇日の調停期日に調停をしたところ、当事者間に申立の趣旨どおりの合意が成立し、かつ、原因事実そのものについても当事者間に争がない。

よつて当裁判所は、必要な事実調査をなし、かつ調停委員の意見を聞いてつぎのように判断をする。

中之条町長作成筆頭者岡玉恵の戸籍謄本、蔚山郡農所面長作成戸主朴晩正の戸籍謄本に調査官の調査の結果を綜合すると、申立人は昭和五月一二月一〇日東京都内で朴晩正と内縁夫婦関係を結び当時の東京市向島区吾嬬町東一丁目○○番地で同棲した。朴晩正の本籍は朝鮮慶尚南道蔚山郡農所面新泉里○○○番地で、大正一〇年八月九日婚姻した妻仁敬があつたけれども、大正一五年四月単身で日本内地に渡り、大阪市、長野県と土工働をし、昭和四年からは東京で大倉組の土工をしていて、仲介人があり申立人と前記のように結婚した。申立人と朴晩正との間には、昭和六年九月○○日東正、同八年二月○日公順、同一〇年四月○日東明、同一三年六月○日秀栄、同一六年一〇月三〇日和夫がそれぞれ出生し、いずれも助産婦木原ミヤが助産した。朴晩正及び申立人はこれらの出生子について婚姻外の子として届け出るに忍びず、朴晩正とその妻仁敬との間の嫡出子として届け出たので、相手方らはそのように朴晩正の戸籍に登載されるに至つた。その後朴晩正と申立人は相手方を伴い昭和一七年二月群馬県中之条町大字○○に転居し、現在も内縁夫婦関係を続けている。このように申立人は相手方らを分娩し、その実母であるが戸籍上は母子関係があることにはなつていない。以上の事実が認められる。そうすると当事者間に成立した合意は真実に合致するものであるから家事審判法第二三条第二項により主文のように審判する。

(家事審判官 毛利悦夫)

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